瞳輝く子供達を育むために
〜PTA学年部行事を通して〜
はじめに
家庭教育の低下・学校現場への不信、そんな言葉が連日メディアにのぼるようになっている。日々の中で見失われているものは何か、保護者として、地域の人間として、そして大人としてこどもたちとどう関わり向き合っていくのか。
小学校PTA活動を通して気付かされたことが数多くある。大人同士が繋がりを持つ大切さ、体験と共有。子供達に思いを伝えていくために何が必要なのか振り返ってみたい。
1.学年部の中で
私の娘が通う小学校は全校児童約650名ほどである。PTAは本部役員12名をはじめとして各専門部長(成人教育・保健体育・広報・校外指導)各支部長、各学年部長を運営委員として組織されている。各部は学校から提示された年間行事表を元に先生方、各委員と相談しながら一年間の計画を立てていく。
私は今年度、6学年部長をさせていただいているのだが、今まで学年部行事として主だったものがどの学年も無い状況であった。学年部は学校と比較的密接な部分であるがゆえ、逆に学年単体ではPTA行事が執り行いづらいという背景があるのだと考えられた。
しかしながら、学年部はPTAの中では横の繋がりを構築する貴重な部でもある。そこで学年単独でできるもの、さらには学年部の枠を外し合同で出来ることはないかと模索した。
今年度、「小学校国語研究協議会」発表校であることから先生方が数々の取り組みを続けてくださっていた。そこで、子供達に生の舞台を見せてあげたい、言葉の表現の一つを感じて欲しいと各学年の先生方に提案させていただいた。
学校行事は4月の時点で綿密に構成されており、新規に、しかも授業時間内に舞台を鑑賞すると言うことは難しいのではないかという懸念もあった。しかしながら先生方のご厚意と運営委員の方々の力強い後押しがあり実現化された。
講師の手配、当日の準備等々、出来うる限りのことは学年部がさせていただいた。初めてのことづくしで準備段階で次々と不備は見つかったが、6人の都合が付く時間を照らし
合わせ準備すると共に、電話、E−Mailなどで頻繁に連絡を取り合うことで補っていった。
子供のコミュニケーション能力の不足が指摘されているがそれは大人の社会でも言えることだと感じている。体験しないことは育むことが出来ない側面もあるのだと思う。一見煩わしいことのようにみえる役員活動も親たちが生き生きと仲間と交流しあっている姿は子供達にも楽しさが伝わっていたようだ。
2.行事を重ねる中で
人形劇だが、1年生から3年生はボランティアグループによる「ぼくをさがしに」「さんまいのおふだ」の2作品を。また、4年生から6年生までは専門家による原文朗読人形劇「やまなし」「よだかの星」を上演していただいた。
高学年は宮沢賢治作品の中でも難解とされている「やまなし」の朗読に触れることが出来た。6年生の授業内容でもあるが抑制された朗読の中から子供達が受け取ったことは多数あるように思う。この作品は「クラムボン」の正体は何かということがしばし議論される作品だが上演が終わった後、「クラムボンは泡」「光」「微生物」など日常会話の中で楽しそうに語られていた。それぞれの根拠もあり、朗読の世界に引き込まれていたことがうかがわれる。また専門家の「声」に触発され、よだかの星を再現している子供もいるとうかがい、子供達の感受性の深さとしなやかさを嬉しく思った。
低学年の人形劇では、体育館中を山姥と小僧が走り回るという設定で楽しませてくれた「さんまいのおふだ」に、全ての子供達が夢中になっていた。「瞳を輝かす」という表現があるが、まさにその通りだった。350人余の子供達が感激と興奮のあまり総立ちになってしまったのだ。終演後も3年生は名残惜しく帰れず、片付けの手伝いをしてくれたほどだった。公演してくださった方々もこれほど子供達の反応が素晴らしかったことは余りないとまで仰ってくださった。低学年の観劇では保護者の方々にも自由参加を呼びかけていた。平日であったにもかかわらず予想以上に保護者の方々も参加され、子供達と感激を共有していただくことが出来た。親子同時の体験共有は様々なことで絆を深めていく資質の一つだという。そういった意味でも今回の試みが静かに多くの人の心に染みわたっていったのではないかと思う。
後に校長先生からのお便り中「本物の音楽や絵画そして今日のようなすばらしい観劇を通して、心震わす経験を積むことも、こどもの心の良い栄養だと思います」と書き記してくださっていた。学校生活は日々の規範や集団生活を学ぶ場でもある。しかしながら、それだけではなく、こうした機会を設けていただいたことで学校全体で共有出来たことはとても嬉しかった。
3.行事の見直しから
運営委員会で、今年度可決していただいた行事の中で「学年全体行事として親子の交流を図る」というものがあった。週末のひとときを学校に来ていただき、普段顔を合わせることが少ない他の地域の人たちとの交流をすることが主眼であった。昔ながらの釜を使いご飯を炊きこどもと大人がそれぞれの役割を果たしながら時間を共有していくというプログラムであった。しかし、その後諸般の事情から実施が困難になってしまった。残念ながら諦めざるを得なかったわけだが、そこで運営委員会に出席してくださっていた先生方からご提案があった。5年生の学年部行事にて田植えをすることになっていたのだがその学習延長上でご飯を炊いてみようということになったのだ。そこには地元の方々との交流も含まれ、学年委員さんだけではなく多くの方にご協力を得ていこうという提案である。とかくPTAの会議はPTAの「P」の部分が走りすぎてしまう傾向があるが学年の先生が運営委員会に出席してくださったこと、また出席出来ない先生方とも連絡を取り合うことからこうした行事の膨らみが出来ていくのだと言うことを実感させられた。
この行事は12月中旬に決定している。役員さんや先生の呼びかけに対し、保護者や子供達の中から自然に「お釜は家にあります!」「おばあちゃんが出席出来ます」という声があがってきたとのことだった。役員だけでも、先生だけでも成り立たないことでもお互いの繋がりを強くすることで実現化出来るのだと感じさせられた。
4.支部の役割
本校の組織編成として特徴的なのは各支部長が運営委員会として携わり各支部から直接地域の声をあげられることではないかと思う。各専門部行事が行われる際も、支部長から声をかけていただくことも多い。
昨今の不審案件多発や交通対策など、こどもを取り巻く環境は著しく悪化しているかに見える。地域として活動することによって問題点が浮き彫りになり各支部への繋がり、そして学校全体への協力へと繋がっていくと感じている。
たとえば校外指導部が通学路点検や声かけ運動などを担当しているのだが各支部から出された危険箇所を確認、行政へあげるべきものはあげ、保護者へ注意を促すものは促してくれている。パトロールも、当番制などで強制というのではなく支部を通してお願いという形もとっている。こうした場合確かに不公平感はあるかもしれない。しかし、強制されるのではなく、保護者が自発的に活動していくのだという意識付けになることは間違いないと思う。
5.学校との連携
保護者側から提案で行われる行事もあるが先生方の配慮から成立している行事も少なくない。本校で行われているいくつかの例を挙げると「心肺蘇生法」と「命の授業出前講座」である。
心肺蘇生法は3学年部と保健体育部の主催行事だが、これは夏休みプール当番にあたる3年生保護者対象としてプール開きに併せて行われる。今年度は授業参観日とは異なった日に設けられたため出席率の低さが懸念された。しかしながら保健体育部・学年部の各委員が働きかけたことにより多数の参加者を得ることが出来た。万が一の場合に備えなければと言う役員の方々の意識が保護者に伝わったのだと感じた。
6学年部行事にあたる「命の授業出前講座」は、群馬県が開始した当初より有償無償に関わらず実施して下さっているプログラムである。助産師の方々により命のルーツを探り、そしてなによりも子供達の自尊感情を育む授業とも言える。親子で参加することが基本とされているこの授業は、針の穴ほどの「最初の自分」と「大きくなった今の自分」を共に振り返り認識する。恥ずかしそうに赤ちゃんの模型を抱く子供達、ただただ慈しむことを思い出した保護者達の顔は、毎年温かい表情にあふれている。授業にいたるまでには総合学習で「自分のルーツを探ろう」と言うテーマが設けられ保護者や育児に関わってくれた人々の話を聞きながら子供達も親も意識を高めていったように感じる。
この二つの行事を通して、ただ行事に出席するのではなく、どう参加するのかを役員が把握していく必要もあると感じた。
あらかじめ細かく伝えられた情報は他の保護者の意識向上にも繋がり、行事そのものがより効果的に運ばれるのではないだろうか。
まとめ
PTA活動は運営委員会を中心に執り行われていくものではあるが、決して役員だけで動いていくものではない。「P」が過剰になっても「T」が過剰になってもそれは学校行事を円滑に進めて行くには難しいことだと思う。反対にどちらかが非協力的でも又同じ事である。「地域」と言う縦糸、「学年」という横糸、そしてそれを紡いでいく「学校」、どれが欠けてもいけないのだと思う。
保護者と先生方とのコミュニケーションの中から協力しあい支え合うことが重要だと感じている。
役員選出がどこの学校でも困難になってきていることは否めない。先生方の忙しさも相まって新しい試みをしていくことも難しいとも痛感した。様々な考え方・生活スタイルがあることも確かだ。しかし、共通して言えるのは保護者も先生方も子供達の輝く瞳を導き出したいという思いである。限られた時間の中、繋がりを上手に育み子供達を見守っていく姿勢をとることが、今私達に課せられている事なのだと感じている。